院長紹介
・柔道整復師
・歩行学認定 歩行トレーナー
・スポーツトレーナー
・健康管理コンサルタント
・施術歴18年以上
・臨床数5万名以上
この仕事を選んだきっかけ
私は千葉県の野田市の長男として生まれました。
小さかった時の記憶はとにかく外でよく走り回っていました。外で遊ぶのがとても好きで周りの友達はゲームをして遊んでいたのですが、私はゲームよりも外で体を動かしいる時の方がとても楽しかったです。
しかし、外で遊ぶのがとても好きではあったのですが、病弱なところもあり肺炎によくかかっていました。病院に入院して点滴を受けるということも度々ありました。そんな私に両親が体が丈夫なって欲しいという思いから陸上教室に通わせてくれるようになりました。走るのは元々速かったので、試合などがあれば入賞をすることもよくありました。
勉強の方はあまり得意ではなかったので陸上の推薦で県内の陸上の強豪校に進学しました。走るのが好きで、目立ちたいという思いがとても強かったので高校生活は陸上に全てを捧げたようなものでした。高校に入学してタイムは速くなってはいたのですが、練習のしすぎで坐骨神経痛になってしまい自分の思うような記録が出せなくなってしまいました。
引退試合のレースでも坐骨神経痛は続いていたので満足するような結果が出せず、とても悔しい思いをしたのを今でもよく覚えています。
そして、そんな同じ想いをしている方を助けたいという想いが生まれ、今の仕事を選ぶことにしました。
開業に至るまで
朝から夕方まで働いて、夜から学校に行って勉強をするという生活を3年間していました。当時は勉強で学んだ知識がそのままお客様に還元できることがとても嬉しくて夢中でした。高校までの勉強は苦手でしたが、人の体について知ることのできる勉強はとても好きで学校では特待生にもなることができました。
もっと人の体のことを知りたい、お客様の不調を良くしたいという想いから学校とはまた違う施術の勉強会に参加するように。そこで出会った先生が歩行が困難になっている重症な方を診に行かないかと誘ってくださり毎週日曜日に施術に行くようになりました。
しかし、これがまぁ良くできない… 本当に不調が変わらない…
これでは良くないと、必死に本や論文、色んな勉強会にも参加してきましたが変わらない…いつしか毎週日曜日が来るのがとてもイヤという気持ちになり、不眠になったりして本当に苦しかったです。
でもなぜだが、この仕事を辞めようという気持ちになることはありませんでした。
1年半ほど、こんな生活が続いていましたが、ある日、運命的な言葉と出会うことができました。それは小さな離島でとあるお医者さんが奮闘するテーマのドラマなのですが、そのドラマに出ているお医者さんが「その人の生き方、人生を診ないといけない」と言っているのを聞いて、衝撃が走りました。私は今まで症状や病気だけを必死に診てきて「人」を診ることができていなかったと気付かされました。
その日をきっかけにお客様が今までどういった生き方を歩んできたのか、その不調のせいでどういった想いでいるのか、何を大切にしているのかなど、人と人との関係を大切にするようにし、徹底して話を聞くようにしました。「人」を意識して仕事をするようになってからは時間はかかりましたが、今までとは違った視点からお客様の不調を診れるようになりました。
そして私は「人」を大切にし、しっかりと診て困っている方を助けたいという想いから開業を決意しました。
開業後は
しっかりと時間をかけてお客様と向き合いたいという想いから保険診療は行わず、自費診療ですることを決意。
また当院独自の(歩行学)に基づいた治療法を創り、坐骨神経痛、脊柱管狭窄、変形性膝関節、変形性股関節、腰椎分離、側弯などの難治性のお客様を多く診ることになります。この施術方法を創り出して多くのお客様と接することで突き止められない原因はなくなり、お客様によって施術までの日数は異なるものの確実に良い方へ導くことができるようになりました。
もしあなたが苦しい、悔しい、どうしたらいいのかわからないと悩んで困っているのなら一歩勇気を踏み出してください。私はあなたのその勇気を受け止めます。